自分のこと

ある友人を励ましたくて書きたいと思う。

 

 

自分はシンガーをやっていて、先日時間があったので自分の家で動画をとってみたのだが、

出来上がった動画を見て思ったことがあった。

 

 

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わたしは、いつまでもどこか垢抜けない自分のことをずっと嫌に思っていて、垢抜けないことも、実はそう思っていることも言葉にせずに暮らしていた。

 

 

 

 

わたしのことをおしゃれだとかセンスがいいと言ってくれる人がまわりにいて、とても嬉しいけどわたしのそれらは後天性だ。どうしても洋服をカッコよく着こなさなくては泣くに泣けない日々が続き、そこそこ辛かったけど結果洋服は大好きになったし(主にアンティークや年代物の古着。ブランド物は相変わらず全く詳しくないが)今も自分の好きな服たちに囲まれて、洋服たちが幸福を呼び寄せてくれていると結構思う。

 

 

 

 

 

 

わたしはここで「努力の大切さ」を伝えたいのではない。

大事だったのは「自分が何を好きか、洋服で表すこと」だったと思う。

新しいものか、古いものか、天然か、化繊か、折り目、切り替え、彩度、明度、模様、シンプル、装飾、クール、ウィット、フォルム、自分の体、、、それは生きているスタンスとスタイルが現れるものだった。

 

これは単なるファッションの話だからあなたにはあんまり関係ないかもしれない。

 

 

 

でも、あなたにも自分の好きなものを探して欲しいと思う。嫌いなものや憎いものもたくさんあっていいと思う。でもそれより何倍も好きなものを探して、増やして、知って欲しいと思う。

そうすることは自分を知って、大切にすることがどういうことかわかると思う。

 

 

 

 

嫌いなものと自分を比べる必要なんてないし、それで「反面教師」とか妙な正義論をかざさずに、好きなものに囲まれて、暮らして欲しい。

 

 

 

 

 

ここ数ヶ月、自分自身、自分の自己肯定感と向き合わなければならなかったので正直しんどくて、面倒くさい自分がどこまでも面倒くさく、面倒くさくて面倒くさくてしょうがなかったのだが、

 

出来上がった小さな動画を見て、「安アパートだけどこんな家に住んでるの、割といいな」と思ってなんだかすっとした。

動画を作っていたけどもちろん音楽もだし、同時にインテリアも気にしながら暮らしていたのだと改めて思った。

ものを「作るのが好き」という人は多いと思うがわたしは「好き」が渋滞して「作る」感じだ。タイプなのでどっちがいいとかはない。どっちもいい。これからもわたしはわたしの胸を「好き」でいっぱいにしようと思う。

 

 

 

 

 

 

上を見ろとか現状に満足するなとか、そういうことを相手に求めると自分がしんどくなる。そういうパワーワードに弱いのはわかるけど。

向上心は興味とか興奮がともなってないと苦しいだけだし気がつくと虚栄心とあまりかわらなくなってたりする。

 

 

好きなものと、そして同じ好きなものが好きな人や、好きな人のことを見て囲まれて生きて欲しい。そんなあなたを好きになってくれる人と話をたくさんしてほしい。

 

 

そして、歳をとっていくごとに若くなっていってほしい。

 

 

 

 

励ましのつもりが、お願いばかりになってしまった(笑)

 

おわり

 

「多様性」とかそんなレベルまでいってない

わたしたちはある日突然気付くことがある。

 

 

 

自分が「強者」の立場にいたことに。

 

または「弱者」の立場にいたことに。

 

 

 

「多様性」「ダイバーシティ」とかって耳あたりよく言われいるけど、自分がある分野で「弱者」側入ることがあるなんて思いもしなかった。

しかも細分化されたマイノリティではない。

ほぼ2分割におけるマイノリティにおいて。

 

 

 

 

東京医大の入試のニュースは多くの人にとってかなりショッキングな件だったと思う。

 

 

 

もちろん、知識としては、わたしは「自分が女性である」ことを知っていた。

同時に、「自分が男性ではない」ということも知っていた。

 

だから、「結婚退社しなければ」「子供を産まなければ」男性と同じ権利をもらえると思っていたかもしれない。

または、「同じくらい体力があれば」「同じ身体能力があれば」…

 

 

 

でも、この考え方自体が男性の作った社会の規範に則っているのだ。

いままでは、「ちょっと修正すればいい」くらいに思っていたけれど、どうやらそんな段ではないみたいだ。

今のものを外れて社会の規範を新しく作り直さないと、本当の平等なんてありえないと思うようになってしまった。

 

 

いや、本当の本当は、「みんな等しく」なんて無理なのだ。

社会的には「みんな等しく」権利が与えられることが「可能」というだけであって

それは背丈や、身体能力や、環境が同じになることではない。それはわかってる。

 

 

だって、たとえば望まない妊娠をして子供を降ろす時、お金は男性も女性も半々かもしれない。でも堕ろせる大きさになるまで胎児を育てるのは誰?

その時間は?堕したあとのリスクは?

たとえばの話だけど。あれ、こういうことを考えてゾッとするのもひょっとして女性だけだろうか?

 

 

男女の性差において権利以外はうまくいかないことの方が多い。

だからせめて権利だけは。そう思う。

 

 

 

今回の件で怒りのツイートをしているのは当たり前だが、女性ばかりだ。ツイートしないではおられない気持ち、とてもわかる。

 

もちろん、日頃から社会問題に関心の高い発言をしている男性も意見を述べてはいるが、

おそらく、なんの関心もない男性は多いだろうと思う。仕方がない。当事者ではないから。

 

 

けれど当事者にならなければ弱い立場にある人々の気持ちを理解できないとすれば、

それは想像力と知性の欠乏、敗北だよね。

 

 

 

わかってほしいだけなんだ。

ちやほやしてほしいんじゃない。

「たいへんだね」って言ってほしいのでもない。

 

 

ただ、今男女は平等に権利すらもらえていないってこと。気づいてほしい。

(アメリカの公民権運動だって黒人だけじゃ成功しなかった)

気づいてくれたら、世界基準だとこれがどんなにヤバいかってことも必然と実感するだろう。

 

 

この国は「多様性」とかそんなレベルまでいってない。