「多様性」とかそんなレベルまでいってない

わたしたちはある日突然気付くことがある。

 

 

 

自分が「強者」の立場にいたことに。

 

または「弱者」の立場にいたことに。

 

 

 

「多様性」「ダイバーシティ」とかって耳あたりよく言われいるけど、自分がある分野で「弱者」側入ることがあるなんて思いもしなかった。

しかも細分化されたマイノリティではない。

ほぼ2分割におけるマイノリティにおいて。

 

 

 

 

東京医大の入試のニュースは多くの人にとってかなりショッキングな件だったと思う。

 

 

 

もちろん、知識としては、わたしは「自分が女性である」ことを知っていた。

同時に、「自分が男性ではない」ということも知っていた。

 

だから、「結婚退社しなければ」「子供を産まなければ」男性と同じ権利をもらえると思っていたかもしれない。

または、「同じくらい体力があれば」「同じ身体能力があれば」…

 

 

 

でも、この考え方自体が男性の作った社会の規範に則っているのだ。

いままでは、「ちょっと修正すればいい」くらいに思っていたけれど、どうやらそんな段ではないみたいだ。

今のものを外れて社会の規範を新しく作り直さないと、本当の平等なんてありえないと思うようになってしまった。

 

 

いや、本当の本当は、「みんな等しく」なんて無理なのだ。

社会的には「みんな等しく」権利が与えられることが「可能」というだけであって

それは背丈や、身体能力や、環境が同じになることではない。それはわかってる。

 

 

だって、たとえば望まない妊娠をして子供を降ろす時、お金は男性も女性も半々かもしれない。でも堕ろせる大きさになるまで胎児を育てるのは誰?

その時間は?堕したあとのリスクは?

たとえばの話だけど。あれ、こういうことを考えてゾッとするのもひょっとして女性だけだろうか?

 

 

男女の性差において権利以外はうまくいかないことの方が多い。

だからせめて権利だけは。そう思う。

 

 

 

今回の件で怒りのツイートをしているのは当たり前だが、女性ばかりだ。ツイートしないではおられない気持ち、とてもわかる。

 

もちろん、日頃から社会問題に関心の高い発言をしている男性も意見を述べてはいるが、

おそらく、なんの関心もない男性は多いだろうと思う。仕方がない。当事者ではないから。

 

 

けれど当事者にならなければ弱い立場にある人々の気持ちを理解できないとすれば、

それは想像力と知性の欠乏、敗北だよね。

 

 

 

わかってほしいだけなんだ。

ちやほやしてほしいんじゃない。

「たいへんだね」って言ってほしいのでもない。

 

 

ただ、今男女は平等に権利すらもらえていないってこと。気づいてほしい。

(アメリカの公民権運動だって黒人だけじゃ成功しなかった)

気づいてくれたら、世界基準だとこれがどんなにヤバいかってことも必然と実感するだろう。

 

 

この国は「多様性」とかそんなレベルまでいってない。